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「暁雨」と「小猿七之助」

なんと言っても、この数年間は歌舞伎座が東京劇壇の中心で、団十郎と菊五郎の一門に福助を加え、
天下を三分してその二以上を有しているので、一般の人気は自然ここに集中される傾きになったのである。  前の菊之助の条でもちょっと述べたが、三十年二月興行の「関の扉」のごとき、染五郎の宗貞は最も若輩なるが故にやや見劣りがしたが、団十郎の黒主、菊五郎の墨染――それらを単に巧かったとか面白かったとか言っても、それを実見しない人たちにはおそらく想像が付くまい。わたしもそれを説明するに適当の言葉を知らないのを甚だ残念に思う。ここらが明治以後における歌舞伎劇の最高潮に達した時代で、その後は強弩の末である。このときには常磐津の林中もまたその名音で満場の観客を陶酔させた。昔といっても三十余年前のことであるから、その当時の観客は今も世間にたくさん生きているはずで、その人たちはわたしの言うことの嘘でないのを証明してくれるであろう。老人の繰言でなく、負け惜しみでなく、わたしはそのころ一人前の人間になっていて、そういう大歌舞伎の芝居を見物することの出来たのを一生の仕合わせだと思っている。 iPhone 買取 河豚は食いたし命は惜しし

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