2012年05月24日 17:20:07
信吾はニヤ/\笑ひ乍ら入つて来て、無雑作に片膝を付く。と見ると山内は喰かけの麦煎餅の遣場に困つた様に、臆病らしくモヂ/\して、顔を赧めて頭を下げた。
『貴君は山内さんですね?』と、信吾は鷹揚に見下す。
『ハ。』と復頭を下げて、其拍子に昌作の方をチラと偸視む。
『何です、昌作さん? 大分気焔の様だね。バイロンが怎うしたんです?』と信吾は矢張ニヤ/\して言ふ。
『怎うもしない。』と、昌作は不愉快な調子で答へた。
『怎うもしない? ハヽヽ。何ですか、貴君もバイロン崇拝者で?』と山内を見る。
『ハ、否。』と喉が塞つた様に言つて、山内は其狡さうな眼を一層狡さうに光らして、短かい髯を捻つてゐる信吾の顔を閃と見た。
『然うですか。だが何だね、バイロンは最う古いんでさ。辺のは今ぢや最う古典になつてるんで、彼国でも第三流位にしきや思つてないんだ。感情が粗雑で稚気があつて、独で感激してると言つた様な詩なんでさ。新時代の青年が那古いものを崇拝してちや為様が無いね。』
『真理と美は常に新しい!』と、一度砂を潜つた様にザラ/\した声を少し顫して、昌作は倦怠相に胡坐をかく。
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